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passion maniacs マニアの受難

what's moonriders?

メンバー


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(写真左上より右下へ)
鈴木慶一(Vo. G.) 岡田徹 (Key.) かしぶち哲郎 (Dr.) 
武川雅寛 (Vl Tr.) 白井良明 (G.) 鈴木博文 (B.)

バンドプロフィール


 日本語による独自のロックを開拓し、アルバム『センチメンタル通り』1枚を発表し解散した”はちみつぱい”を母体として1975年に結成された。1976年1月には、“鈴木慶一とムーンライダーズ“名義でファースト・アルバム『火の玉ボーイ』を発表。『火の玉ボーイ』は、当初、鈴木慶一のソロ・アルバムとして制作が進められており、参加メンバーも、ティンパン・アレイの面々、矢野誠、矢野顕子、南佳孝、斎藤哲夫など、多彩である。ライダーズに加入前の白井良明もシタールで参加している。

 1977年2月にはアルバム『ムーンライダーズ』を発表。以来、1986年の『Don,t trust over 30』発表後の5年に及ぶ活動停止期間まで、コンスタントにアルバムを発表。 活動停止中もメンバーは活発なソロ活動を展開していた。

 ムーンライダーズはこのまま、自然消滅かと思われたが、1991年には『最後の晩餐』を発表し、NHKホールでライブを行う。その後1992年には『A.O.R.』、1995年には、ミニ・アルバムも含め3枚のアルバムを発表するなど、順調にバンド活動を展開し、1996年12月、20周年記念アルバム『Bizarre Music for You』をリリース。矢野誠、矢野顕子、糸井重里、野宮真貴など、ゆかりの人々が参加して話題となった。1998年、キューンソニーに移籍して『月面讃歌』を発表。自分たちの録音したトラックをすべて若手ミュージシャン、プロデューサーに託してしまうという大胆な手法で、90年代末的なバンドの在りかたについて一石を投じるエポックとなった。キューン移籍後1年を待たず、9社目のレコード会社ドリームマシーンに移籍。

 2004年には、バンド名を冠したMoonriders Records を発足し『P.W Babies Paperback』をリリース。2006年にはデビュー30周年を迎え、日比谷野外音楽堂で多数のゲストと共に記念ライブを行った。結成以来、常に時代の半歩先を行く先鋭性を持ち続け、存続してきたムーンライダーズ。今後もあらゆる“形態”を行き来、飛び越えてバンド活動は続いて行くはずである。

ディスコグラフィ


1976年 「火の玉ボーイ」(ワーナーパイオニア)/ 1977年 「ムーンライダーズ」(クラウン)/ 1977年 「イスタンブールマンボ」(クラウン)/ 1978年 「ヌーベルヴァーグ」(クラウン)/ 1979年 「モダ―ンミュージック」/ 1980年 「カメラ=万年筆」(クラウン)/ 1982年 「青空百景」(ジャパン)/ 1982年 「マニア・マニエラ」(ジャパン)/ 1984年 「アマチュア・アカデミー」(RVC)/ 1985年 「アニマル・インデックス」(ポニー・キャニオン)/ 1986年 「Don't trust over 30」(ポニー・キャニオン)/ 1991年 「最後の晩餐」(東芝EMI)/ 1992年 「A.O.R.」(東芝EMI)/ 1995年 「BYG High School Basement1」(ファンハウス)/1995年「カフェ・ド・ラ・プラージュ」(ファンハウス)/1995年「ムーンライダーズの夜」(ファンハウス)/ 1996年 「ビザール・ミュージック・フォー・ユー」(ファンハウス)/ 1998年 「月面讃歌」(キューン)/ 2000年 「Six musicians on their way to the last exit」(ジョイライド)/ 2001年 「Dire Morons TRIBUNE」(EAST WEST/ドリームマシン)/ 2005年 「P.W Babies Paperback」(ムーンライダーズレコーズ)/ 2006年 「MOON OVER the ROSEBUD」(ムーンライダーズレコーズ)

配給・宣伝:メディアクラフト 宣伝:ミラクルヴォイス